6月26日、ファラ・フォーセットの死が伝えられ、更に、私が
夜な夜な遊び狂った高校・大学時代、その時代を象徴する
存在だったM・ジャクソンが死んだことが伝えられました。
そして、もう一つの、しかも身近な死。
この日、トコが永い眠りにつきました。
26日、私はその日がトコにとって最期の一日となることを知り
つつ、外せない出張のため、大阪に向かいました。私が帰宅
するころには、トコが永い眠りにつくことを知りつつです。
26日朝、出張に行く前にトコと最期のお別れをしました。トコはその週から著しく容態を悪化させていました。これまでも、
何度も容態を悪化させながら、そして最期の時を思わせながら、
トコは立ち直ってきました。しかし、今回ばかりは、今までのよう
には行かず、痛み止めも効かない状態となりました。大好きな
クルマの音にも反応せず、好物のササミも食べず、昼も夜も痛み
に啼いていました。それまで、痛いのに鳴き声一つあげなかった
トコが啼いていました。私が頭を撫ぜてやると、その時だけは啼く
ことをやめますが、手を話すと啼き出します。痛くても、私にだけは
抱きかかえられていたのですが、最期の数日は、それさえも嫌が
り、抱こうとすると咬み付くので、トイレも満足に出来なくなりました。
そんなトコの姿をみて、これまで何度も病院の勧めを断ち切って
きた「安楽死」を私たちも考えざるを得なくなりました。
動物を安楽死させる、しかも家族としてくらしてきた動物に死を
与えることについては、批判的な意見もあると思います。しかし、
逃れようのない、耐え難い痛みを抱えたまま生きていく、或いは
生かされていくのが、本当に幸福なのでしょうか?
私たちは、病院で宣告された余命を、奇跡的に3、4ヶ月もクリア
して闘ったトコを休ませてあげることに決めました。そうしてその日、
26日を迎えました。
15時頃、お世話になっている病院の先生に、自宅まできていただ
き、トコは眠りにつきました。トコは自宅で最期の時を迎えることが
できました。最後のときに傍にいてやれなかったことが申し訳なく、
また妻にも一人で立ち合わせてしまったことも可哀想なことをした
と思っています。妻は、その後、膿などで汚れてしまったトコを綺
麗に洗ってあげました。私が帰宅したとき、トコはリビングの一隅
で、ゆっくりと、穏やかな表情で休んでいました。私は、すっかり
伸びきったトコの足の爪を切ってやりました。痛む足を触られること
を痛がり、爪を切らせてくれなかったのですが、漸く切ってやること
ができました。
痛みから解放され永い眠りについたトコ。こんなにゆっくりとした表情は久しぶりに見ました。
横で休む芽芽には、それは解るのでしょうか?

翌日、トコを火葬しにいきました。冷たくなってしまったトコは、
穏やかな表情でした。そして、火葬を終え、骨になったトコを骨壷に
収めていきました。病と闘い、年齢を重ねたトコの骨は、とても
脆く、箸に力をいれると、砕けてしまいます。それが妙に悲しく思え
て仕方ありませんでした。
火葬する直前、トコの最期の写真です。すっかり冷たくなった頭をもう一度だけ撫ぜてやりました。トコは我が家にやってきて、丁度、1年1ヶ月。最初は咬み癖のある
気難しい犬でしたが、いつのまにか、私の後を追うようになり、病気
になってからは、表情も穏やかになっていきました。僅か1年程度
なのに、随分前から一緒だったように思えます。トコにとって、この
一年はどうだったのか、知る術はありませんが、少なくと、失った人
間との絆や、共に暮らす愉しみは理解してくれたのではないかと思
います。多くの方々にもたくさんの愛情をいただけ、トコは本当に幸
せだったのだと思います。
正直、まだトコの死を消化しきれず、安楽死させたことに罪悪感を
覚えることもあります。帰宅するとトコがいないことが不思議です。
これまでも、預かりワンコや猫の死に立ち会ってきましたが、今回
だけは、特別な想いがあります。帰宅してドアを開けると、尻尾を
振りながら、足踏みをし、頭を下げて撫ぜろとねだるトコの姿は忘れ
られるものではありません。
トコが永い眠りについて、本来なら悲しみに暮れるところですが、
幸いなことに、我が家にもそのヒマも無いほど、新たな犬や猫が
やってきます。トコの存在をどこかで感じつつ、彼らの世話に追わ
れることが、少しだけ救いになっています。
新顔のジータとハチ。ハチは見ての通りの秋田犬?の子供です。
微妙な距離感のジータとコナ。フレームに収まりません。コービーとはこんな感じでご挨拶。最期に、いぬ親会や、その他、行く先々でトコにやさしい言葉を
かけてくださった皆さま、トコを気にかけてくださった皆様、ほんとう
にありがとうございました。トコに代わって、御礼申し上げます。